DJ RYOW
「It Was All A Dream」2025.09.24 OUT

前作「DRIVE MY DREAM」のリリースから約1年半、DJ RYOWが自身15作目となるブランニューアルバムを発表した。楽曲を再生した瞬間から明確に感じる音の“鳴り”の良さや、DJらしく流れと緩急のグルーヴを感じさせる構成、はっきりとした意図のもとに配された曲順、ヒップホップシーンの“今”を切り取った客演セレクトなど、アルバム全体を“一つのもの”として完璧にまとめ上げた作品だと思う。実際、ここに挙げたそれぞれのポイントには、制作の際に妥協なくしっかりこだわったということをDJ RYOW本人も認めている。しかし、30年近いキャリアと実績を誇り、今も一線で活躍できているアーティストであることを考えれば、さすがのクオリティの高さにもいい意味で驚きはない。DJ RYOWの魅力は音源だけでなく、その動きにも存分にあふれているし、せっかくの機会ということで今回は、この作品が生まれた背景を少し掘り下げてみることにしたい。逆に言えば、そこにこそ今回のアルバムの本質があると確信しているのだ。

さて、最新作に付けられたタイトル「It Was All A Dream」は、ご存知の通り、The Notorious B.I.G.が、名曲“Juicy”の冒頭で吐き出したフレーズでもある。Biggieの場合は、過去を振り返りつつ、当時夢見ていたことを叶えた現状を誇る内容だし、仮にこれがラッパーのアルバムであるとすれば、そんなタイトルを象徴するような曲が一つつくらいは入っていそうなものだが、今作にはそういったことを鮮明に表現した曲はない。では一体、何が“DJ RYOWの夢見ていたこと”なのか――。収録曲では触れられていない部分にも、彼の想いは込められている。

プロデューサーとしてのDJ RYOWのキャリアを遡ると、その第一章たる処女作“WHO ARE U?”は2005年3月に発売されている。およそ20年前のことだ。今や国産ヒップホップのクラシックとして数えられるまでになった“WHO ARE U?”だが、残念なことに、あの曲はTOKONA-Xの遺作でもある。つまり、DJ RYOWが自身名義の音源リリースを始めてから歩んできたこの約20年は、TOKONA-X亡き後の歴史とイコールなのだ。語弊を恐れぬなら、DJ RYOWはある意味で“十字架”を背負いながら20年以上にわたって活動してきたとも言える。敬愛していたTOKONA-Xの偉大さや遺したその功績を、DJ RYOWは本人に代わってヒップホップシーンへと必死に伝えてきた。そして、志半ばで他界したTOKONA-Xから継承した遺志を、自らがアーティストとして具現化していくということを繰り返してきたのである。誰かに頼まれたわけではない、それこそが自分に与えられた使命として、だ。

過去に例を見ないほど爆発的に広がっていく昨今の国内ヒップホップシーンには、常に新しい風が吹き込んでいる。流行だけでなく、アーティストも、リスナーも、取り巻く状況も、あっという間に変遷していく。その波に乗り遅れてしまえば、たちまち影響力や求心力を失ってしまうこともある厳しい世界において、前述したような“使命”を果たすべく尽力し続けるのは並大抵のことではないはずだ。シーンの第一線まで上り詰め、そのポジションをキープできていることだけでも称賛に値するが、言わばそれを亡きTOKONA-Xの分まで担うのだから、もはや常人の成せる業ではない。しかし、実際にDJ RYOWはそうやって20年を過ごしてきた。

そんな彼にとって、約2年もの歳月を費やし、今年ついに公開まで漕ぎ着けた初の映像監督作品『KING OF BULLSH*T -THE SAGA OF TOKONA-X-』がどれだけ大きな意味を持つのかは、想像に難くないだろう。TOKONA-Xの死後20年という節目に、その生涯を綴ったドキュメンタリー映画を完成させ、それとセットで考えていたという追悼イベント「TOKAI X BULLSHIT」にも一旦の区切りを付けたことで、DJ RYOWはようやく、自分のやりたいことと同列でもあった大きな“使命”を果たせたと実感しているようだ。

「ずっと頭の中で考えていたことを形にできたからそれで終わり、という感じでは全くないけど、自分的には映画を完成させられたことで、やっぱり一つ肩の荷が下りたっていう実感はある。映画が完成したら、音楽に対する“やる気”が無くなるかも、っていうくらいには思っていたし、ぶっちゃけアルバムを出すのも一瞬迷った。誤解を与えないように言うと、別に病んでいたとかではないけど(笑)。だけど、映画を公開してから“自分がどう感じるか”でその後の動きを決めようとしていて。結果、意外とやる気が出ちゃった(笑)。やれるところまでやったから、いい意味で一度仕切り直して、次から新しいものを作ろうとしていたっていう感覚かな。ポジティブに、“新しいことを生み出したい”っていうところに行き着いた。もちろんトコナメさんの曲はこれからもずっと出していきたいと思っているけど」

件のドキュメンタリー映画については今後も少し動きがあるようだが、それについては別の機会に触れるとして、ここまでが“DJ RYOWの夢見ていたこと”の一つである。TOKONA-Xを日本のレジェンドとして、性別や世代を問わず誰もが認識しているという状況にまでしておきたかったのだろう。そしてもう一つは、2005年にリリースした1stアルバム「PROJECT DREAMS」から約20年の時を経て、進化はしつつも変わらないスタンスで自分自身がやれていることに関して、である。

「ほぼ周りの人間だけで作った1stアルバムから、ずっと継続することで全国各地の人に参加してもらえるようになった。でも、オレのやり方自体は変わっていない。そういう意味で、1stからここまでの要素を合体させた集大成が今回のアルバムだっていう気がしている。振り返ってみれば、ヒロシさん(“E”qual)、AK(-69)くん、PHOBIA(OF THUG)は1stアルバムにも参加してもらったし、当時一緒に動いていたり近くで見ていたりした先輩たちが、20年経った今でもこうやって参加してくれるのは、個人的に結構うれしいこと。オレもヒップホップに対するスタンスはあんまり変わっていない。想いとしてはずっと好きだし、やっていることも20年前と実は同じ。DJをやって、ビートとミックステープを作って、服もやって……そのときはいろいろな先輩の手伝いをすることで成り立っていた部分もあったけど、自分が軸になってできるようになったこともある。ちょっとは成長できたかな。あとはいろいろなことを考えられるようになったというか、視野はかなり広くなったと思う」

本人は「やりたいことをやっているだけ」とうそぶくが、そうは言ってもブレずに長年やり続けることは簡単ではないはずで、そんなところがシーンからの信頼を集められる決め手なのだろう。ちなみに余談だが、タイトルを「It Was All A Dream」とした理由をもう一つ付け加えるなら、本人がこんな話をしてくれたので記しておきたい。

「トコナメさんとBiggieは、オレの中でなんとなく勝手に重なる。DJでかけるときも特に意識せず繋ぐことがあるし、アメリカ人に『TOKONA-Xって誰だ?』って聞かれたら『日本のBiggieだ』って言う。上手いこと言おうとかじゃなくて、本当に自分の感覚としてはそう。Biggieの曲はかっこいいけど、どちらかというとトコナメさんのほうがよく知っているし、『Biggieが“アメリカ版TOKONA-X”』なんだけどっていう(笑)」

さておき話を戻すと、近年のDJ RYOWにとって最大クラスのトピックスであり、“大きな夢”でもあったドキュメンタリー映画の公開は、当然タイトル以外の部分でも今回のアルバムに少なくない影響を及ぼしているが、それだけに留まらず、彼の活動方針自体にも至っている。言うなれば、“20年目の原点回帰”かもしれない。

「あの映画を作ったことで改めて“東海愛”があふれて、今後の東海エリアのことに対する想いがめちゃくちゃ強くなった。映画自体はトコナメさんの物語をオレらが表に出しただけだし、じゃあ今後のオレらはどうするんだっていうことを考えたら、“東海エリアをどれだけ盛り上げられるかが重要”っていうところに行き着いた。(¥ellow)Bucksみたいな新しいスターが生まれたからそれでOKではなくて、もっと若いアーティストが出てくればその子らも話題になるだろうし、例えばBucksも、オレらの世代も、もっと上の世代もさらに上に行けるはず。最初は『今作で自分の想いを一旦完結させて、リセットしたうえで音楽をやろう』と思っていたけど、やっぱりすべては繋がっているし、ここからまた新しい東海エリアのヒップホップを作りたい」

さらに、DJ RYOWはこう続けた。

「ずっと名古屋とか岐阜にいるのに、まずはこの街が盛り上がってくれないと自分がいる意味がないと最近思ってきて。東京に出たほうがパイもデカいし、メディアもいっぱいあるし……とは思うけど、やっぱり地元で成り上がって、それをいろいろな土地に持っていくっていうのが、自分的なヒップホップの美学というか。盛り上がっている街をレップして各地に行くことで、また輪が広がっていくっていうのがヒップホップの良さだと思うから。そういう想いが今回のタイミングですごく強く出た」

おそらくだが、DJ RYOWは自分のキャリアの中で、今までもそのスタンスを忘れたことはなかったはずだ。しかし、あえて言葉にすることで原点に立ち返り、自らの決意を揺るぎないものにしたのだろうと感じている。関係者の証言によれば、TOKONA-Xは生前、自分だけではなく、名古屋でともに頑張っている仲間、ひいては名古屋のシーン全体を全国に向けて発信したいという想いを強く持っていたという。もちろんDJ RYOWに対しても積極的に、人脈が広がるようなきっかけ作りをしてくれていたそうだ。DJ RYOWが、今回の「It Was All A Dream」に、“Dennis Rodman’s”や“New Generation”のような東海エリアの若手アーティストを集めた楽曲をあえて収録したのも、そんな想いによるところが大きいのだろう。

「東海エリアでイケてるメンツも増えたし、ライブはかっこいいのに世の中にはまだ名前が出ていない子とかもいっぱいいる。オレもやっぱりきっかけを一つずつ大事にしているからこそ、これが若い子たちのきっかけの一つになってくれればいいなと思う。あと、オレから見るとトコナメさんの映画をきっかけに、結構いろいろな人たちが“やる気モード”に入ってくれたように感じる。昔の名古屋は、東京にもあれだけすごいアーティストがたくさんいる状況で、『名古屋のヒップホップはエグいよね』って言われていたことがある。その時代を見ていた世代からすると、みんながもっと団結すればまたそうなれるんじゃないかなって。むしろ、単純に足りないのはそこだけかもしれない。東京や大阪のほうが人口もクラブも多いし、今だったら外国人もいっぱい来ているから、いろいろな条件はあるんだけど……今ならそういうことが実現できるんじゃないかなってめちゃくちゃ思う。結局トコナメさんに支えられているのかもしれないけど、まあそれも名古屋だし。またそういう盛り上がりにできたら最高。オレはラッパーじゃなくてDJだから、いい意味で人を巻き込みやすいし」

最後に、「もしTOKONA-Xが今のDJ RYOWを見ていたら、何と言うか」と訊いてみた。

「『いや、それをもっと早くやれよ』って言われると思う(笑)。『ようやったな』って言ってもらえれば最高だけど、最近は『まだ行けるだろ。映画までやったなら、てめえはとことん行けよ』って実際に言われている気すらする。押し付けるつもりはないけど、若い子たちにもそういうマインドが入ってくれたらいいなと思う。それで、“東海エリアのヒップホップが一番かっこいい”って、勝手にどんどん証明してくれるようになったら言うことないなって」

これから取り掛かるべきことについては、すでに具体的なアイディアも頭に浮かんでいるようだが、そこは今後のDJ RYOWの動きに注目しておきたい。15枚目のアルバムという前人未到の数字に到達した今、そして“大きな夢”を成し遂げてもなお、新たなる夢の実現に向かってDJ RYOWは変わらずハードに動き続けるに違いない。

Text by Kazuhiro Yoshihashi

RELEASE


OTONAGE DININKI

It Was All A Dream

DJ RYOW

発売日 2025年9月24日(配信)

収録曲
  • 01. Intro -It Was All A Dream- feat. AK-69
  • 02. Bible feat. guca owl
  • 03. KING OF BULLSH*T / TOKONA-X & DJ RYOW
  • 04. Rasen Freestyle '25 feat. 般若, SOCKS, eyden, Carz, ¥ellow Bucks, AI, ”E”qual
  • 05. Dennis Rodman's feat. hxpe trash, STACK THE PINK, Worldwide Skippa
  • 06. New Generation feat. B.monkey, RENCH, BabyNyca, ALBA, Temma, Andre
  • 07. Magic feat. SOCKS, SKRYU
  • 08. Own Way feat. Nozomi Kitay, Yatt
  • 09. Seikai feat. IFE, 5Leaf
  • 10. Check Me feat. 11
  • 11. Way Of Life feat. CHOUJI, 柊人, Mr.OZ & G.CUE(Phobia Of Thug)
  • 12. ETA feat. EMI MARIA, C.O.S.A.

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